日本一のブランド
という夢を
仲間たちと
追いかけるヨロコビ。

Suguru Koyama

小山 優
ORIHICA商品部
マネジャー
2007年度入社

CAREER

2007年
新卒入社
ORIHICA 大宮ステラタウン店
2007年
ストアサブマネジャー
昇進
2009年
ORIHICA ワカバウォーク店
ストアマネジャー 昇進
2010年
ORIHICA商品部 シャツ・タイ・フォーマル小物 企画担当
2015年
ORIHICA人事部 教育課
2017年
ORIHICA 銀座店(新店)
2020年
ORIHICA 東京都心エリアマネジャー
2021年
ORIHICA商品部 シャツ・タイ 企画担当
2024年
ORIHICA商品部 メンズ責任者 兼
スーツ・フォーマル・パーソナルオーダー 企画担当

NOW

PROFILE

ファッションや接客への興味からアパレル業界の企業を中心に見ていた就職活動を経て、将来性に惹かれてORIHICAに入社。関東各地でのストアマネジャーや本社の商品開発、神奈川エリアにおけるプロジェクト推進などさまざまな経験を積んできた。18年間に渡ってORIHICAの成長とともに歩んできたが、今も大きな夢を追い続けている。

無名のブランドだったからこそ、
ここを選んだ。

小学生の頃、母親に連れられて行った地元のショッピングモールで服をよく買ってもらっていました。2人の兄のお下がりを着るのが嫌だったことから、ファッションへのこだわりが芽生えていました。中学に上がると一人で原宿まで出かけるようになりました。お小遣いをこつこつと貯めて買ったのは、ベージュ色のフード付きダウンジャケットでした。袖を通して外出するたび、気分が上がったことを覚えています。成人式のスーツをAOKIで買ったときも、同じような感覚になりました。父親がスーツで出勤していく姿に憧れていたので、ようやく大人の仲間入りができたと思いました。

就活ではアパレル関連の接客業を主に見ていましたが、早期に内定をいただいた自動車のディーラーへ就職するつもりでいました。いくつか残っていた面接を受ける中で出会ったのが、AOKIが展開し始めていたORIHICAでした。ブランド名すら知らなかったのですが、逆にそれが決め手となりました。当時はまだ30店舗程度の規模で全国へと拡大していくフェーズだったのです。すでに名も知れて大きくなっているブランドに関わるよりも、自分の力を発揮でき、また毎日の仕事も面白いのではないかと考えました。

ストアマネジャーや仲間たちとの
連帯感を生んだ、将来の夢。

最初の配属先は特別な意味を持つ大宮の店舗でした。どのような商品構成にするべきかやどんな接客をするべきか。プロトタイプとして、全店を引っ張っていく役割を担っていた店舗でした。自分たちの頑張りが、ORIHICAの成長に繋がる。社員4名とアルバイト3名の7名で過ごした毎日は、本当に楽しかったです。週の半分は閉店後に食事に行ったり、お互いの家に泊まりに行ったりと、仲が良いだけでなく連帯感のようなものもありました。「この店とこのブランドをもっと大きくしていくんだ」という夢を共有していたからだと思います。
「この店舗がうまくいったら、ORIHICAにとって大きな成長になる。会社を引っ張るのは小山さんなんだぞ」

30代半ばのストアマネジャーからの言葉のおかげで、入社1年目の12月にはストアサブマネジャーを任されるまでになりました。店舗運営の他、当時は個人売上高も大切にしていました。全国NO.1を目指すことに、やりがいを感じていました。この店舗での約2年間が、後々までの私の基礎となっています。

2つのキャリアの節目で、
こだわったこと。

大きな転機となったのは、入社4年目の秋、商品部への配属です。店舗経験しかない私にとって商品づくりの仕組み、発注、在庫管理などの業務は全て素人同然で、転職したような錯覚すら覚えました。アパレルの中では花形と呼ばれる部署ですが、思った以上にハードでした。そんな私を鍛えてくださったのが商品部の責任者でした。
「まずは現場に行くことが大切だ!」
何か問題があったときだけではなく、日頃から自分の目で確かめ、現場の意見を聞いて、商品開発に繋げていく。お店はもちろん、縫製工場さんや生地屋さん、メーカーなど全ての工程と現場を自分の目で確認するスタンスを教えていただきました。

縫製現場の工場長には、不良箇所の改善提案や売れ筋商品のさらなるてこ入れといった要望を伝えるだけではありません。工場の生産キャパシティや従業員のスキルの状況など、相手の経営面までを常に気にかける必要があります。工場の実状を知らなければ「ここを直してほしい」「ここをコストダウンしてほしい」という交渉も的を射たものになりません。商品部での経験は、1つの商品をつくるためにどれだけたくさんの人が関わり、どれだけ細かな創意工夫を積み重ねているのかを改めて実感する機会となりました。

もう一つ印象に残っているのは、入社11年目の秋、銀座の新店立ち上げを任されたときのことです。錚々たる顔ぶれのブランドの旗艦店が集結し、トレンドに敏感なお客さまの多いエリアにおいて、いかに存在感を示していくのか。私がこだわったのは、ファッション情報の知識、接客のクオリティでした。というのも商品の8割は既存店と同アイテムで、低価格で購入しやすいというメリットも変わりません。価格以上に上質な商品だということをいかに感じていただけるか、いい意味でのギャップを出すためにはサービス面が一番大事だと考えたのです。

銀座店では、どの店舗よりも多く勉強会を行いました。商品知識やファッションについて深く学ぶほか、お客さまへの伝え方、挨拶の仕方、距離感の取り方など心地よく店内で過ごしていただける立ち居振る舞いを追求していったのです。実際に「同じORIHICAなのにここはどこか違いますね」と言ってくださるお客さまがいます。私としてはスタッフ個人に対する称賛の声だけでなく「このお店に来て良かった」という言葉が何よりも嬉しいです。なぜならお客さまに対面するスタッフ全員が、店内でプラスアルファの価値をご提供できている証になるからです。

売上高=顧客満足。
その日本一を目指していく。

その後は他店のストアマネジャーや社内プロジェクトのリーダーなどを経て、入社14年目の秋に再び商品部に戻りました。商品開発においてこだわっているのは、やはり以前学んだように“まずは現場”であることと、各店舗から上がってくるお客さまの声を大切にすることです。一般的にアパレルの商品開発というとデザイナーの個性が重視されるイメージが強いかもしれませんが、それは許されません。まずはお客さまファーストでなければならない。上司から口酸っぱく言われています。

私が最初に手掛けたのもお客さまからの要望を汲んだ商品でした。それは全てのワイシャツをノンアイロン仕様にすることです。使える生地は限られますが、国内外の色々なパートナーから集め、選定しました。しかしどこまでをしわと見るかには個人差もあり、今も改良を続けています。

商品部では常に3シーズン先の商品企画に取り組んでいるため、店舗と違ってすぐに結果は見えません。それでも14名のメンバーたちで意見交流をし、各現場を奔走したりしながら最終的に自信を持って全員一致で「これでいこう」と決定する瞬間に、この仕事の面白さを感じています。

入社当時は30店舗だったORIHICAも、現在107店舗(※2025年3月時点)にまで広がり、ワイシャツの売り上げ総数は年間100万枚を超えました。でもまだまだこれからです。入社直後に配属されたあの店でみんなで描いていた山はもっと先にある、もっと高いイメージなのです。売上高=顧客満足だと私は考えていますが、AOKIとORIHICAを合わせた売上の日本一がそのイメージに近いのかもしれません。

COLUMN

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